廻る


……

……?

「ここは、どこだ?」
自然と口から出たその言葉。だがそれは、一時の思考だ。すぐに私は、今の状況に思い当たり始める。


ここは、私が勤務する国立医大付属病院の2階廊下。その廊下の長椅子に、私は座っている。
では、具体的にどの場所にいるのか? それは、すぐに解かった。
すぐ傍にあるドアには、『ICD ROOM』のプレートが掲げられている。私は横文字がどうにも苦手
だが、このプレートの意味はすぐに理解出来た。


ICD=Infection Control Doctor
    (インフェクション・コントロール・ドクター)
主に感染症・感染制御・院内感染対策を専門とする、医療従事者。

この部屋は、そんなICD達に与えられた1室。
そう。ICDである、私が常勤する部屋だ。


それも、解かる。だが……。


ドアを開けて、私は『ICD ROOM』に入る。空調がよく効いた部屋の中央デスクには、黙々と書類
仕事をしている男が1人。入室してきた私に気付くと、顔を上げて声をかけてくる。

「よう、川島」

この男は、山瀬准也。大学から付き合いのある友人であり、同僚。つまり、私と同じICDだ。


そうだ、解かる。前から知っている、解かるんだっ。
じゃあ、なぜ……。


「もう大丈夫か?」
「……え?」

大丈夫? 何がだ?

「いや、だから。頭だよ、頭。さっき廊下で転んで、頭打って倒れただろ」
「……そう、なのか?」
「ああ? そうだよ。あ、もしかして。頭打ったショックで記憶が一瞬飛んだとか? まあ確かに、部屋
の中にいた俺にもゴンッて音が聞こえた位だから、それもあり得るかもなぁ」

そう言って山瀬は軽快に笑った。人の不幸を笑わないでくれ……。
単に軽口を言うタイプで、悪意がないのは無論、解かってはいるが。

しかし、そうか。私は転んで頭を打ったのか。それで……

「介抱されて、廊下の長椅子に寝かされていたのか」
「ああ、そうだ。頭の外傷は腫れもなく軽症。ショックで軽い脳震盪を起こして、気絶しただけだからな。
長椅子に寝かせたのは俺なんだから、感謝しろよ」
「どうせなら、ちゃんとベッドに寝かせてくれよ」
「そこまでの怪我じゃないって。何だ、個室を用意して若い女の看護師1人付けてほしかったか?」
「それもいいな。費用が山瀬持ちなら」
「馬鹿野郎」

それだけ言って、2人で笑い合う。

なぜ長椅子に寝ていたのか、それが判明し胸がスッとした。まだ頭はどこかスッキリとしないが、それは怪
我のためだろう。軽く頭部を触ってみたが、特に痛みは感じないので本当に軽傷の様だ。
怪我の瞬間以外、記憶は完全に戻ってきている。

「あ」

お陰で、嫌な事まで思い出してしまった。

「どうした?」
「副院長に呼ばれていたんだ……。今、何時だ?」
「ああっと……、10時……3分前だな」

10時! それは、約束の時間だ。

「ギリギリ、セーフか?」
「それは着いてから考える!」

入ったばかりの部屋を飛び出し、私は駆け足で副院長室に向かった。



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